太刀 銘光忠(復元)

-たち めいみつただ-

画像は本能寺様よりお借りしています。


鑑定区分


時代


刀剣種別




-


鎌倉時代


太刀


光忠



刀工


主な来歴



刃長


反り



長船光忠


三雲定持→三好実休→畠山高政→織田信長→豊臣秀吉


69.7㎝


-


解説

備前国(現在の岡山県)で活躍した長船派の始祖である長船光忠の作。
長船光忠の日本刀は刀身が長く、身幅も広く華やか。そして頑強かつ斬れ味鋭い実戦用であるため、多くの戦国武将達に求められた。
現在の本能寺にて展示されている本刀は再現刀である。

三雲定持が所持しており当初「三雲光忠」とも呼ばれた実休光忠は、のちに愛刀家の戦国三好実休の手に渡ったことから「実休光忠」と呼ばれるようになる。
1562年に三好実休の討死後、畠山はたけやま高政が実休光忠を入手し、織田信長へ献上したとされている。
本能寺の変の際、信長公は実休光忠で戦ったとされており、本能寺の焼け跡から焼身で発見された。

のち、焼身となった刀身は豊臣秀吉が主君である信長公の形見として焼き直しさせた。
その際元々大房丁子乱れ・物打(刀身の先端部分)は小乱れの刃文は、焼き直し後には全体が同じ高低の丁子乱れとなっている。
その後「大坂夏の陣」による大阪城の落城後、行方不明となっている。